全ての記事【新着順】

松岡修造という男

  • このエントリーをはてなブックマークに追加




近年錦織圭の活躍によりテニスブームが起きていますが錦織圭登場以前日本テニス界を牽引し続けてきたのが松岡修造さんです。彼は今ではおもしろいスポーツキャスターなどの面がクローズドアップされていますが現役時代は当時日本テニス界最高のプレーヤーでした。その功績といろいろな活動を見ていきたいと思います。

松岡修造さんの生い立ちですが、阪急東宝グループ創始者の小林一三のひ孫で、東宝第11代社長の松岡功と元宝塚歌劇団星組男役スターであった千波静との間に三人姉弟の次男として生まれました。テニスの才能が兄よりもないと言われながら柳川高校で2年時高校三冠を達成し家族からの反対を受けながらもプロへと転向しました。そこからケガとの戦いなどがありながらも1992年に韓国オープンで日本人初のATPツアーシングルス優勝を達成し自己最高ランクの46位を達成します。これは以後日本人男子の目標として錦織圭が破るまで残り続けました。1995年にはウインブルドンでベスト8に入りました。

img_6347

しかしこの次の全米オープンでは一回戦のペトロ・コルダ戦の第4セットに痙攣を起こし立つことができなくなりましたが当時のルール上痙攣がケガとして認められずメディカルタイムアウトを取れなかったため治療できず、失格になるまで倒れたままの姿がテレビ等にも流れ続けました。この試合を切っ掛けにテニス規則におけるメディカルタイムアウトの取得要件が見直され、その後通称「シュウゾウ・マツオカルール」として試合中の痙攣に治療が認められるようになりました。

img_6348

彼のプレースタイルは今の錦織圭や添田豪、西岡良仁、ダニエル太郎、杉田祐一などの日本のトッププレーヤーとは違いビッグサーバーで188cmの身長を活かしたサーブを中心にボレーで決めるというスタイルでした。

img_6390

その後の選手生活で膝などのケガに悩まされ続け1998年に30歳の若さで引退、後進の育成やテニスの普及に尽力されています。



その最たるものが修造チャレンジであり毎年全国小学生や全日本ジュニア、全国選抜ジュニアなどで上位進出した10数名の選手を招待し強化合宿を開催しています。毎回ボブ・ブレッドや各方面のプロを招き12歳〜14歳の年代に高い意識や最先端の知識を与えています。2001年には錦織圭が参加、その他にも添田豪、伊藤竜馬、西岡良仁などの後のトッププレーヤーが歴代参加者にいます。img_6389

彼の指導は技術的なことよりも世界で活躍する際に必要な精神面やマナー、語学などの分野に定評があり短期的な合宿で技術的なことを指導するよりも合理的であると感じます。

 

最近では松岡修造さんが熱すぎるため訪れた国の温度が上がり日本の気温が下がると言われています。

img_6392 img_6393

にわかには信じがたいことですが彼ならそれもありえると思わせてくれる熱さです。

img_6345

これまで松岡修造さんのことを見てきましたが彼はきっとこれからも日本テニス界に貢献しいつか訪れる錦織圭引退後もテニスを盛り上げていってくれると思います。ますますの活躍を期待しています!




コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

come on tennis 公式ツイッター

PAGE TOP